ホーム社内での立居振舞術プレゼンテーションをそつなくこなせ!~その2:突っ込みどころをつくる
先日、素晴らしいプレゼンを聞きました。
彼は決して普段から話がうまいわけではありません。
どちらかというと、少し振る舞いが変わっていたので、プレゼンをすると聞いた時には、ひどくお粗末なものを想像していました。
しかし、ふたを開けてみて驚きました。
その場にいた全員が彼のプレゼンに聞き入り、反応し、終わった後に絶賛したのです。
決して器用ではない彼が、どのようにして聴衆の心をひきつけ、最後まで一人も寝る人を出さずに話を聞かせることができたのでしょうか。
ここでは、その手法を紐解いていきます。
ところで、「プレゼンが成功した」というのは、どういうときに言えることでしょうか。
それは、よどみなくすらすらと言えたときでも、落ち着いて自分のペースで話すことができたときでもありません。
プレゼンにおける「成功」とは、相手の記憶に残すことができたときに言えるのです。
あなたがどんなに流暢に話したとしても、翌日相手が覚えていなければ何の意味もありません。
まして、「自分はちゃんと説明したのに、覚えていないのは相手が悪いのだ」などとおこがましいことを考えているのであれば、いつまでたってもいいプレゼンはできません。
「あの人の話、眠いんだよな」と陰で言われるだけです。
記憶に残るということは、それだけ印象的だった、ということです。
よく暗記をするときには、それと同時に別の記憶も植えつけることが効果的だといいます。
例えば、痛みとか。
しかし、プレゼンの最中に、聞いている人を叩いて回るわけにはいきません。
ではどうするかというと、「面白かった」と思わせることです。
面白い話を聞くと、誰かに伝えたくなります。
人に伝えるためには、記憶に残っていなければなりません。
人は、「この話面白かったからあの人に話そう」、と思ったら、必死で記憶にとどめようとします。
さて、記憶に残す方法にはいくつかあります。
今回は、そのうち「面白くて人に話したくなる」という観点で、その方法を考えます。
面白いというのにも色々あります。
例えば、興味をひくという面白さ、裏話や暴露などの「ここだけの」話による面白さなど。
そのうち、オーソドックスに「笑える」というのが今回のテーマです。
「笑える」話とは、受けを狙って落ちをつけたりボケたりして、つっこみどころのある話、ということです。
冒頭のすばらしいプレゼンをした人の話は、まさに「つっこみどころ」がふんだんにちりばめられており、それが笑いにつながっていました。
彼の使っていた「受ける」テクニックは以下のようなものです。
彼が使った記憶に残すための「受ける」テクニックは、
の2つだけです。
彼は、「みなさん、~は実は、~なんです!」どうですすごいでしょう、と言わんばかりに、このような発言をいくつかしました。
しかし、言われたこちらは、「そんなすごくないのでは?」という疑問符が頭の中に浮かびました。
そして、それは多くの人の心に「突っ込みどころ」として記憶されたのです。
彼の場合、これは天然で、本当にすごいと彼自身は信じて言ったのかもしれません。
しかし、このように、あえてすごくない情報をすごいことのように言うことは、笑いを生みます。
ちょっと受けなかったなと思ったらもう一つのポイントである、「繰り返す」というテクニックを使いましょう。
彼は大事な情報は、「もう一度言います」「五回目になります」と、何度も繰り返して伝えました。
繰り返すということは、人に何かを伝えるときに有効な手段とされています。
例えば、社長が社員に方針を伝えるときに、ことあるごとに何度も同じことを言うと、浸透しやすくなります。
同じように、プレゼン時にいいたいことを繰り返すと、それが強調したいことだというのが伝わります。
さらに、繰り返し聞かされている人たちの心には、「またいうのかよ」という突っ込みの気持ちが芽生えてきます。
これこそが、記憶に焼き付けるのです。
彼が使ったテクニックはこの二つだけです。
これ以外に彼が心がけたことは、滑舌よく、誰にでも聞こえる大きな声で話したということだけです。
それにプラスするならば、彼は天然だったということはあります。
天然は武器になります。
彼が考えたプレゼン内容は大真面目なものだったにも関わらず、若干ピントがずれていて、図らずも突っ込みどころが満載となってしまい、笑いを誘ったのかもしれません。
だから、天然であったことが、このときの成功のカギだったと思えなくもありません。
しかし、彼は事前にこう話そうと綿密に計画していたように感じました。
今回は天然が功を奏した形になりましたが、事前に準備しておくならば、天然を装うことも可能です。
ポイントを押さえ、準備と練習を怠らなければ、天然であるなしに関係なく、記憶に残るプレゼンをすることはできる、ということです。